2024年03月12日

走生の懸け橋96(謝辞)



静岡マラソンは

あちゃちゃちゃちゃーな結果でした。

表向けにはなかったことにしておきます。




このあとの博論本体に関しては

謝辞を加え全体をチェックしたら完成原稿提出となります。


ひとまずその下書きができました。

明日のおとなの寺子屋最終回で読み合わせ推敲をしたら本体と接続。

僅かなブログ読者の皆様にも感謝・感謝です。




・・・


【博士論文謝辞】


本博士論文への着手から完成に至るまで、本当にたくさんの方にお世話になりました。
第1に静岡大学大学院教育学研究科教授 村越真先生からは、主指導教員としてのみならず運動実践者、イベントディレクターの立ち位置からも様々なご意見・ご支援を頂きました。博士論文前の著書出版、国際大会における伴走への挑戦、静岡大学陸上競技部での活動、トレイルランニングイベントへの参加をお許し頂いただけでなく、中学校・大学での授業実践や静岡大学公開講座開講に至るまで、筆者自身が気になった全ての現場に立ち会わせて頂くチャンスをご提供頂きました。現場・現実に触れることに意識が偏ったことは、方法論検討の甘さとして露呈しましたが、これからの研究を全うしていく上での掛け替えのない財産となりました。「生き方教育としてのランニング教育」を研究計画として臨んだ2014年の入学試験から数えることおよそ10年に渡り、絶句の絶えない筆者を厳しくまた温かく・粘り強くご指導を頂きました。心より感謝申し上げます。

また副指導教員としてお世話になりました愛知教育大学理事 野地恒有先生にはセミナーを中心とした授業を得るごとにオリジナリティ、着地点の明確化に関するご教示を頂き、その度に身の締まる思いとともに研究内容・構成の再考に努めることができました。以下同じく副指導教員として代々お世話になりました元静岡大学大学院教育学研究科教授 山崎保寿先生からは万人向けの研究ではないことをご指摘頂くとともにご自身の陸上競技指導から得られた知見をご提供頂き、東海学園大学教授 筒井清次郎先生からは他のことを辞めてまでそれをやることの必要性を強く問われ、元静岡大学大学院教育学研究科教授 新保淳先生からは哲学領域からの視点をご提供頂きながら現象学を扱うことの危うさをご指摘頂き、静岡大学大学院教育学研究科教授 杉山康司先生からは筆者自身の視野の狭さからウォーキングの世界との照らし合わせへといざなって頂きました。最終審査においてお世話になった石川恭先生からは、予てよりしつこさと鈍感力を強調頂き、その解釈が仇となる場面もありましたが、結果的に筆者のオリジナリティはその2つが基盤となるものでした。ご指摘頂いた授業実践における刷り込みに関しては視点を変えながら検討を重ねていきたいと思います。同じく最終試験では静岡大学大学院教育学研究科教授 香野毅先生からも筆者自身が着地点に関して苦しんだことを見透かすかのように鋭くご指摘を頂きました。ご指摘頂いた通り中高年にこそ見出しやすい内容だったことから、今後は広く社会形成・文化形成にも目を向けていきたいと考えています。全体を通じて学術研究として扱いにくいテーマに挑んだことで、筆者の都合の良い論展開に留まったことは大きな問題として残りましたが、一方で研究科の先生方からその点に関するご評価も頂いたことは光栄そのものでした。

その他、小学校体育非常勤講師として長年お世話になりました静岡サレジオ幼・小・中・高等学校理事長・学園長 末吉弘治先生、生涯スポーツ概論の履修からアミノバリューランニングクラブまたNPO法人ピュアスポーツクラブの運営においてお世話になりました元静岡大学教授 松井恒二先生、ランニング学会での研究活動またパーシー・セラティやランニング人間論に関する議論を中心にお世話になりました群馬大学名誉教授 山西哲郎先生、地域密着型の教育現場をご提供頂いた学習進学塾シャローム学園前塾長 尾崎純夫先生、先生方との出逢いがなければ今回の博士論文研究への着手はあり得ませんでした。学校・クラブ・塾という異なる教育現場における経験から、あたかも錬金術的に行き着いた領域が今回の人間教育でした。その領域に立った実践を立証していくという企画は強引極まりなく、各教育が立ち位置を定めている以上着手すべきものではないのかともよぎりながら、肚の奥底に蠢く思いから身体運動を介した人間教育の嚆矢として活字に遺すという傲慢な挑戦に臨ませて頂きました。

付随して実践校の先生方をはじめ、挙げきることのできない数多くの方にお世話になったことは言うまでもありませんが、博士論文に戻れば何からでも学べる・誰からでも学べるという真理を筆者自身が振り返るための取り組みだったと思い返しています。お世話になってきた皆さんへの恩義を基に、多様な生き方・走り方・学び方の支援につながる教育活動に勤しんでいくことを誓います。
最後に、直感的にやりたいことをやるべきことと言い放ちながら頑なにそれしかやらない筆者の生活態度を許してくれた両親と家族にも心から感謝いたします。学校現場から離れ、心臓を患いながらも博士論文研究のゴールまで伴走頂いたことはこの先一時たりとも忘れることはできません。本当にありがとうございました。



2024年3月12日

静岡マラソンでのダメージを味わいながら

二見隆亮


走生の懸け橋96(謝辞)



Posted by 走る先生 at 18:34│Comments(0)
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