2018年03月14日

走生の懸け橋①(キーパーソンに逢う)


タイトル「経過」を前ブログ名に変えた。

「かけはし」は「懸け橋」とした。

正しい構えを保持するためだ。




ここに書き残すことは

・次にやるべきことを明確にする

ためであるが、

履歴を残すことで

・過去の自分に立ち返ることも
・過去の自分を塗り替え続けることも

できると考えるからだ。

続々が続く経過を辿る。


・・・



サブにある「キーパーソンに逢う」というのは

手掛かりとなる知識や経験を持つ人物に触れるということである。

命題が大きいが故に、

全てのこと・ひとに手掛かりがあるともいえるが、

八方美人化による空中分解は避けたい。
現在はむしろ空中分解中である。

全てがうようよと濁っている。
全てがよくわからない羅列状態。


キーパーソンは何名か(何名も)いるが

諸条件からの優先順位をよく診てあたっていきたい。


自分の中にリストはでているが、
ここでは列挙せずにスゴロク式にいく。

・・・

早速、

昨日は山﨑保寿先生にお逢いした。
https://tdb.shizuoka.ac.jp/RDB/public/Default2.aspx?id=10754&l=0

主査の先生が不在中の期間限定でご指導をご担当頂いている先生である。

が、

私自身があまりに個人の作業に向かっていたため、
これまで一度も伺うことなくこの時期になってしまった。

3月4日(日)の教科開発学研究会で初めてご挨拶という流れとなった。

そこでまた驚愕の事実を知る。

山﨑先生は防府読売マラソンに出場されるほどのランナーだったのだ。

ならびに

私の母校である藤枝東高校で陸上部の顧問をされていたことを聞く。

驚いたが熱意は磁石とはよく言ったものだ。



先生の研究領域の1つに

キャリア教育がある。

私の研究と関連させれば

走は広義のキャリア教育になり得るのではないか。

と仮説が経つ。



それを話して、

一度頷いて頂いたが、

突っ込んだ話はそこから始まった。

「深淵だけど万人向けではないですね」

そして

「研究的に未開拓な領域なので」
「独自の価値を理屈で持って実証していく必要がある」
「実証というより検証、立証、いや…論証ですね」
「雑なメモではなく文章で書いていかないとダメですよ」


ご指摘全てが突き刺さる。

八方美人化を避けるとともに、
独りですべてをやろうとしてはいけない。

理屈と論理と客観性が求められるからだ。

「スポーツ科学の大半は成果を確かめればある程度クリアですが」

「あなたの場合は実践に移すとむしろそちらが弱くなってしまう可能性がある」


確かに。

極めて哲学的な領域になる。
真理を哲学とは追究する学問だからだ。

哲学者を目指しているわけではないが、
結果的にそうなる可能性もある。

かの山西哲郎先生であれ
多くの伝説を残してきたトップアスリートであれ

そうでしょう。


そういえば、
以前山西先生から1964年東京五輪のエピソードを聞いた。

「マラソンをみていると走ってきたアベべに対しておばさんが」
「哲学者が走ってきた!っていうんですよ」
「二見さんはどう思いますか?」

定かではないが、
「そうなるんですね」
程度で答えた記憶がある。

これとて1つの事例である。

・・・

山﨑先生に戻る。

「なので哲学的な部分を、数は少ないだろうけど文献や論文から引用して」
「それぞれを対立させながら、自分でも批判しながら論証する必要がありますね」
「哲学論文としていわば根拠となる水準をつくり」

「そこから次にいく」
「でも実践するほどわかりにくいから論が弱くなるか…」
「とにかく規定なので全国紙に2本以上まずやらないといけない」


「持論の本を書いてから向かうのもいいが」
「博士号の力を持って本を書いた方がよりよい文章になると思います」

だいぶすっきりしてきた。
かなりすっきりしてきた。

本を書く作業は解毒でもあった。

『王様の耳はロバの耳』ではないが
過去の自分は外に吐き出したくて仕方がなかったのだろう。

「ランナーの脚は人材の脚」と。

それを森の葦がいうように

共感を得て頂いた方が草の根で動いているわけだが。

「人間は考える葦である」(『パンセ』パスカル)ですね。



前回の通り、

数少ない事例をかき集めることである。
より有効なものを集めることである。

やはり学校教育とは現在同系列にない特殊例となろう。


事例①誰はこうした
事例②誰誰はこう考えた
事例③誰誰誰はこう考えこうした

以上3つの事例はこの点では重なりこの点では異なる。

しかし総じていえばこのようなことがいえる。

これに関しては
心理学領域ではこのように語られ
哲学領域ではこのような指摘がされ
教育界ではこの点と重なる。

実際は

より複雑な動きの中で簡素化を目指していくことになるが

おおよそそのような展開となろう。



暫定であたり得る学会は以下の3つである。

・人間教育学会
・人間発育発達学会
・ランニング学会

「学会での質疑はその場限りだからゼミの代わりになる機会を設けた方がいい」
「現在の専攻は現職の教員が多いためゼミを頻繁にできないことが弱みでもある」



先生は県庁に用があり、
二見車で移動しながら頂いた言葉である。


制約をうまくコントロールすれば
私は現職教員よりは大学に出向きやすい。

自分でいくと決めていくのがベストだが、

何らかの拘束力を設けるために
TA(ティーチングアシスタント)の“仕事”を頂くというのも手だろう。

ボランティアでは“制約がないという制約”がある
これとて真理である。

制約の操作はトレーニングメニューの調整と同様である。
メンタリティとバイタリティを動かすことができるのだ。
結果も自ずと動く。

TAにより授業の様子、
先生方や学生諸君の様子を目の当たりにしていくことも

研究には大いにプラスになると考える。

その辿りを含め

最終的に国家に貢献する論文とその後の活動が始まれば

それに越したことはないだろう。



山﨑先生は
静岡大学の理学部ご出身

その後、
高校教員をされながら
筑波大学で修士号と取られ
その10年と半年後に
信州大学で博士号を取られました。

その後、
信州大学で教鞭を執られています。

大学から陸上競技を始め
3000m障害を中心にご活躍
10000mの自己ベストは教員になってからだそうです。

昭和50年代に高校教員が
10000m33分02秒
3000m障害県選6位
防府読売マラソン2時間47分
難易度は高いです。

が、

当時の他の教員からの評価はやはり2パターン

讃えるか呆れるか。

やれというかやめろというか。。

これは今も昔も変わりません。
この先も変わらないでしょう。


私が赤ん坊のころに闘っていた走る先生に出逢うことができました。
ましてや私がその後通うことになる高校に勤めていた先生でした。

これとて必然なのでしょう。

またも小平選手が話題になりました。

「国際大会に出るため(総合学習関連の)課題ができない」
という申し出があったそうです。

先生が代わりに出された課題は

「ロンドンにある博物館等に出向いてレポートしてくれればいい」

だったそうです。

ここだけ踏まえても、

全てを生かすという視点が人を創る

つくづくそのように思いました。


高橋進
君原健二
村社講平
円谷幸吉
織田幹雄
ファン・アーケン
パーシー・セラティ
フランク・ショーター
山西哲郎
嘉納治五郎


対話の中で主に挙がった人物です。

田島直人さんにもあたらないと。
殖やしすぎたくはないが。


そういえば

キーパーソンといえば
パーキンソン病を患っていた
ロジャー・バニスター氏の訃報が届きました。
https://mainichi.jp/articles/20180306/k00/00m/060/074000c

改めて氏の功績を讃えるとともにご冥福をお祈りしたい。

当時、
医学生が世界記録ということの価値が大きかったことでしょう。
本人は当たり前と思っていたとは思いますが。


日本国内でいえば、
政治家が9秒台とか
弁護士が2時間5分台とか

そうなったらますます世界も動くのでしょうが。
現時点では考えられません。




早稲田大学で走った過去
京都大学で走った過去が生きる日が必ず訪れます。




追)

山﨑先生は松本大学に移られます。

陸上部員のT選手も卒業後は故郷松本に就職するとか。

松本マラソンに出ようか。






続く。

走生の懸け橋①(キーパーソンに逢う)




Posted by 走る先生 at 11:35│Comments(0)
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