2018年07月14日

走生の懸け橋⑩(第1章)

タイトル目次を少し大きくした。

フルマラソンを生かした人材育成プログラムの開発

序章 
第1節 研究の動機と目的
第2節 先行研究の検討
第3節 研究の方法と論文の構成

第1章学校期におけるランニング
第1節義務教育期におけるランニング
第2節高等教育期におけるランニング
第3節ランニングに対する態度
第4節ランニング教育における成果と課題

第2章社会におけるランニング・フルマラソン
第1節ランニングの様式と起源
第2節フルマラソンの歴史
第3節現代におけるフルマラソン
第4節フルマラソンの特性

第3章市民ランナーを対象としたインタビュー
第1節ランニングに取組む動機
第2節フルマラソンに取組むようになった背景
第3節フルマラソン経験からの気づき・学び
第4節フルマラソンと仕事との関連性

・・・・・・・・・・・・以上をまず1本

第4章大学における人材育成

第5章大学におけるマラソン授業

第6章S大学における実践と成果

結章
第1節 総括
第2節 結論
第3節 今後の課題

・・・・・・・

第1章ドラフトを残す。

高校の長距離走はレベルが高い。


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第1章学校期におけるランニング

 ここでの学校期は小学校、中学校、高等学校の12年の期間とする。学校期におけるランニングには主に(授業時ではない)「遊びとしてのランニング」と(授業時の)「学習としてのランニング」が存在する。前者には鬼遊びやボール遊びといった主として小学生の遊びの中に見られるランニングがその代表ではあるが、これらは小学校低学年の体育でも扱う内容であることや佐藤(1993)の身体教育論 、もしくはホイジンガ(1938)の遊戯論 を踏まえると学習の1つとして捉えても良いだろう。よってここでは学習としてのランニングを義務教育期、高等教育期におけるランニングを整理し、態度に着目した研究を手がかりにしながら学習としてのランニングの実態を概観していきたい。

第1節義務教育期におけるランニング
 『小学校指導要領解説体育編』(2018) では体つくり運動においてランニングが扱われている。第1学年及び第2学年では「多様な動きをつくる運動遊び」「体を移動する運動遊び」の例示として「一定の速さでのかけ足」「無理のない速さでのかけ足を2~3分程度続けること」とされている 。第3学年及び第4学年では「多様な動きをつくる運動」「体を移動する運動」の例示として「一定の速さでのかけ足」「無理のない速さでのかけ足を3~4分程度続けること」とされている 。第5学年及び第6学年では「体の動きを高める運動」における「動きを持続する能力を高めるための運動」の例示として「時間やコースを決めて行う全身運動」「無理のない速さで5~6分程度の持久走をすること」とされている 。学校現場では以上を総じて持久走と称することが多いが、指導要領における記載は第5学年及び第6学年のみである。よって小学校では体力を高めることを意図した学年相応の時間走が体育としてのランニングに該当するといえる。

『中学校学習指導要領保健体育編』(2018) では体つくり運動及び陸上競技においてランニングが扱われている。まずどの学年でも「体ほぐしの運動」の行い方の例の1つに「いろいろな条件で、歩いたり走ったり跳びはねたりする運動を行うことを通して、気付いたり関わったりすること」とある 。また第1学年第2学年では「体の動きを高める運動」における「動きを持続する能力を高めるための運動」の行い方の例として「走や縄跳びなどを、一定の時間や回数、又は、自己で決めた時間や回数を持続して行うこと」とある。ここでは小学校のように具体的な時間は示されていない 。第3学年では「動きを高める運動」及び「動きを持続する能力を高めるための運動」の記載はなく、代わりに「実生活に生かす運動の計画」が記載されているが、ここではランニングに特化した記載はない。
また中学校では陸上競技領域の「長距離走」が加わることになる。第1学年及び第2学年では「長距離走では、自己のスピードを維持できるフォームでペースを守りながら、一定の距離を走り通し、タイムを短縮したり、競走したりできるようにする」「ペースを守って走るとは、設定した距離をあらかじめ決めたペースで走ることである」「走る距離は、1,000~3,000mを目安とするが、生徒の体力や技能の程度や気候等に応じて弾力的に扱うようにする」 とあり、小学校にはなかった距離が提示されることになる。第3学年では「長距離走では、自己に適したペースを維持して、一定の距離を走り通し、タイムを短縮したり、競走したりできるようにする。」「自己に適したペースを維持して走るとは、目標タイムを達成するペース配分を自己の技能・体力の程度に合わせて設定し、そのペースに応じたスピードを維持して走ることである」 とされている。
 中学校では主に「スピードを維持できるフォーム」「ペース配分」「タイムの短縮」「競走」をねらいとした長距離走目標が主な体育としてのランニングに該当する。小学校と中学校では時間の提示と距離の提示が大きな違いといえる。

義務教育期のランニングに関しては佐藤ら(2014) が詳しくまとめている。中でも体育としてのランニングにおいて佐藤(2014)は8つの問題を上げている。
それは
1、学習指導要領の位置づけ方
2、教師の理解不足
3、教師と子どもの認識のずれ
4、安易な指導
5、小学校における持久走大会のあり方
6、小学校における体力づくりとの関係
7、中学校における評価のあり方
8、実施時期
の8つである。「1、学習指導要領の位置づけ方」は体力向上を目的とした小学校と競技性の強まる中学校の違いから「学習の一貫性が担保されづらい」という指摘である。「2、教師の理解不足」は小学校教員が「競争を目的とした長距離走をさせたり」、中学校教員が「体力向上を目的とした持久走を実施したりする」事例を問題視したものである。「3、教師と子どもの認識のずれ」は「教師は総じて『子どもはランニングを好きではない』という認識をもって授業に臨んでいる」というケースからむしろ「子どもらにランニングは辛く苦しいものであるという印象をすりこんでいるのではないだろうか」という指摘である。「4、安易な指導」はランニング運動の単純さを理由に指導の工夫や改善なく「頑張ること」が求められやすいという指摘である。「5、小学校における持久走大会のあり方」では「競争」が重視される行事がもともとの持久走の主旨とずれるという指摘である。持久走大会やマラソン大会は通例授業の延長線上に存在し、学内における児童・生徒の交流に加え、個々の到達点の評価に用いられていると考えられる。しかし、小学校における持久走大会も中学校におけるマラソン大会も記録または順位に重きが置かれ、また客観的にも記録または順位が際立つため、持久走と長距離走の混同や体つくり運動と陸上競技の混同は否めない。「6、小学校における体力づくりとの関係」では20mシャトルランにおける(全国平均を上回ろうといった)風潮から、全身持久力の向上を主な狙いとした持久走が行われることで、子どもたちと持久走の純粋な出会いを妨げているとではないかという指摘である。「7、中学校における評価をあり方」では「競争」「達成」が重視される中学校の長距離走では走ることが苦手な子どもは劣等感を抱きやすく、より長距離走に消極的になり、長距離走嫌いになるのではないかとう指摘である。「8、実施時期」に関しては持久走や長距離走が主に冬期に実施されることから、待ち時間の冷え等、寒さとの関係が義務教育期のランニング嫌いを生み得るという指摘である。
佐藤は以上の問題状況を踏まえ、「学習内容と指導方法を整理する必要がある」、「新たな試みを検討することで、子どもにとって価値のあるランニングの学習を構築することが求められる」と述べ、2つの実践例を挙げている。その2つとは明るい声かけや給水のできるエイドステーション、ジョギングピクニックなどの工夫を凝らした「小学校におけるジョギング」とペア学習、ラップタイム表、ペース走を取り入れた「中学校における長距離走」である。

齋藤(2015)による2002年から2013年までの12年間の『体育科教育』(大修館書店)における「持久走」の実践をまとめた報告によると、抽出した9件の小学校における実践「全てにおいて『ペース』の学習が行われていた」とある。その中には「ポイント化」、「ゲーム化」等、ペースを維持する学習以外の工夫が見られるという。中学校における実践には「ペース」の学習以外に「心拍数」を用いた実践や「グループ」による学習が主なものに挙がっている。中には『「きつい・だるい・あきる」からの脱却を図るペアでコーチングを行い伸び合う長距離走』(山下2010)のように持久走、長距離走に対しての否定的な捉え方が背景に漂う実践に見られる 。これは佐藤の挙げる問題「3、教師と子どもの認識のずれ」にあった「教師は総じて『子どもはランニングを好きではない』という認識をもって授業に臨んでいる」という指摘と重なる実情の1つといえるだろう。また佐藤は「子どもの時期に『記録を伸ばす』『順位を競う』というランニングの楽しみ方のある側面だけを強調して学習するのではなく、『仲間と共に走る』『会話をしながら走る』『音楽を聴いて走る』『コースを選択して走る』『走る仲間を支える』などといった多様な楽しみ方を保障することは重要だと思われる」という指摘もしているが、根本的には教員の力量とその力量を背景に存在する学習経験及び社会経験に因るところが大きいだろう。
また上記のような実践や研究は過去に陸上競技やランニングに携わっていたもしくは現在も携わっている教員また研究者によるものが大半だろう。それらに該当する教員であれば持久走や長距離走の実践や研究に着手しやすいが、実際は授業を実践する多くの教員がそれらに該当するわけではない。その点を鑑みても、教員がランニングの価値の見出し方を事前に何らかの活動を通じて経験しているかどうかは、授業に留まらない学校期におけるランニング機会の充実に大きな影響を及ぼすことだろう。これは齋藤(2013)の「学習指導要領解説における記述の違いの理解のみでは、真正の学習につながらないことを意味し、持久走の魅力や面白さを教員が十分に理解できていない」という推測に結びつくが、教員の理解度が授業や行事の実践に顕在化し、結果的にランニング教育の成果や児童生徒たちの持久走・長距離走に対する態度を形成していくといってよいだろう。態度に関しては第3節の中で掘り下げたい。

第2節高等教育期におけるランニング

『高等学校学習指導要領保健体育編』(2009)でも中学校同様、体つくり運動及び陸上競技においてランニングが扱われている。「体ほぐしの運動」の行い方の例の1つに「いろいろな条件で、歩いたり走ったり跳びはねたりする運動を行うこと」、「体力を高める運動」の運動の計画と実践の例に「ジョギングや各種の体操などの施設や器具を用いずに手軽に行う運動例や適切な食事や睡眠の管理の仕方を取り入れて、生活習慣病の予防をねらいとして、卒業後も継続可能な手軽な運動の計画を立てて取り組むこと」とある。ジョギングは「卒業後も継続可能な手軽な運動」とみなされていることがわかるが、ここでも小中学校における持久走と長距離走の区別と同じようにジョギングと長距離走の区別は教員生徒共に経験的に学ぶべきポイントといえるだろう。

陸上競技領域の「長距離走」では中学校よりもより具体的かつ高度な内容が記載されている。
「入学年次では『自己に適したペースを維持して走ること』を、その次の年次以降では、『ペースの変化に対応するなどして走ること』をねらいとする。
入学年次における自己に適したペースを維持して走ることとは、目標タイムを達成するべきペースを自己の技能・体力の程度に合わせて設定し、そのペースに応じたスピードを維持して走ることである。
その次の年次以降の『ペースの変化に対応するなどして走ること』とは、自ら変化のあるペースを設定して走ったり、仲間のペース変化に応じて走ったりすることである。
指導に際しては、タイムを短縮したり、競走したりする長距離走の特性や魅力を深く味わえるよう、長距離特有の技能を高めることに取り組ませることが大切である。
そのため、走る距離は、1,000~5,000m程度を目安とするが、指導のねらい、生徒の技能・体力の程度や気候等の状況に応じて弾力的に扱うようにする。」とあり、その例示として

「入学年次
・リズミカルに腕を振り、力みのないフォームで軽快に走ること。
・呼吸を楽にしたり、走りのリズムを作ったりする呼吸法を取り入れて走ること。
その次の年次以降
・自分で設定したペースの変化や仲間のペースの変化に応じて、ストライドとピッチを切り替えて走ること。」
とある。長距離走はハードル走との選択制になるため全生徒が履修するとは限らないが、義務教育期のランニング経験を通じて生徒内部に備わったランニングに対しての考え方は「長距離走の特性や魅力を深く味わ」うことにも「長距離特有の技能を高めること」にも大きな影響を及ぼすといえるだろう。この点に関しては第3節で触れる態度と併せて考えてみたい。

第3節ランニングに対する子どもたちの態度

 ランニングに対する子どもたちの態度に関して、小磯ら(2017)による研究がある。小中高生計2,432名を対象とした質問紙調査を通じて「持久走・長距離走に対する忌避感や否定的印象はかなり強く、多い。それが学年進行と共に増加する傾向にある」ことを明らかにした 。「忌避感を生み出す原因は、物的、人的、環境条件や児童・生徒がそれを見出している意義、授業の手続き、教師行動等、多様に想定される」とあり調査結果の原因は限定的なものではないことがわかる。また「一方で、持久走・長距離走の意義を認め、肯定的、意欲的な態度もある」と述べているようにランニングに対しての忌避感や否定的印象は全児童・生徒が持つわけではないことを明らかにした。角田(1976)や高田(1979)に代表されるように40年以上前から同様な指摘が続いていることを考えると、忌避感や否定的印象を無くすための実践を考えるよりも、このような感情が起こりうることをまずは受け入れることが現実的といえるのではないか。その上で授業の工夫や改善に留まらない総体的な取り組みを考えていくべきではないだろうか。さらには持久走・長距離走の意義を認め、肯定的、意欲的な態度を示す児童・生徒が存在することをも前向きに受け止めて、ランニングの意義や価値をよりクリアにするとともに、肯定的・意欲的な態度を形成するプロセス・メカニズムをよりクリアにしていくことも必要になってくるだろう。その際に「おもしろさ」や「楽しさ」や「心地よさ」といったこれまでの体育で目指されてきたものとは異なる視点を探ることが要になるのではないか。

第4節ランニング教育における成果と課題(小括)

 本章を通じて、学校期におけるランニングを概観することができた。ランニングに対して否定的な態度が形成されがちであるといった長年に渡る実情から目を背けることはできないが、実際に教員や研究者によって現場での実践研究が反省の中で続けられ、ジョギング、ペース走、グループ学習の導入等により一定の成果が見られてきたことは体育教育ならびに学校教育において大きな財産になっているといえるだろう。第3節に述べた「授業の工夫や改善に留まらない総体的な取り組み」という視点、「これまでの体育で目指されてきたものとは異なる視点」を生かすために、第2章では学校外のランニングの世界をみていくことにする。



Posted by 走る先生 at 20:48│Comments(0)
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